『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』を読んで
安宅和人著『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』を読んだ。
仕事って、何らかの価値や結果を生み出していないと、「ちゃんと働いた」ことにはならない。
だからといって、がむしゃらに頑張ればいいというものでもない。
そもそも取り組む課題の設定がおかしいと、どんなに頑張っても、
生み出される価値、バリューは小さいものになってしまう。
本書では、そういう「犬の道」を批判して、「イシュー」を起点に考えることについて解説されている。
イシューとは、「2つ以上の集団の間で決着のついていない問題」(p.25)かつ
「根本に関わる、もしくは白黒がはっきりしていない問題」(p.25)のことらしい。
プロフェッショナルとして、バリューのある仕事、つまり、
「イシュー度」(=「自分のおかれた局面でこの問題に答えを出す必要性の高さ」(p.26))と
「解の質」(=「そのイシューに対してどこまで明確に答えを出せているかの度合い」(p.26))が
高いテーマを選ぶ必要がある。
ぱっと見、「問題かもしれない」というようなものでも、
本当の意味で取り組むべき問題は、ほんの2~3%に過ぎないのだという。
しかも、誰もが「問題だ」と感じているようなものでも、答えの出しようのない問題は、イシューとはいえない。
理想は、「今、本当に答えを出すべき」かつ「答えを出す手段が自分にはある」といえる「死角的イシュー」らしい。
その「イシューの見極め」から「伝えるものをまとめる」までのサイクルを、
「素早く回し、何回転もさせる」ことで、生産性を上げていくための「理論」が書かれている。
この「イシュー」思考に強く賛同し、いざ実践してみようという段階で、恐らく多くの人が挫折するんじゃなかろうか。
本書から「イシュー」思考の全体像や理論を分かった気になるというのと、
実際に「できる」ということの間に、ものすごい断絶を感じる。
私も試しに、研究テーマの設定用に実践しようと思ったら、初っ端が一番難しいことを痛感した。
具体的なようで、抽象度の高い記述が多く、本書のみを手引書として使うのは厳しいかもしれない。
まず、イシューの特定にあたって、
最初にその道の専門家等に直接聞きに行くという方法が紹介されているが、
それはある程度の下調べが出来てからでないと、失礼なことになるのは容易に想像がつく。
最初から人に聞けばその方が効率がいいのはたしかだが、相手からしたら、
「それくらい調べてから来なさいよ」ってなりそうだし、漠然とした質問を投げる感じになってしまいそうだ。
前提知識はあるというのが前提なのか…?でもそんな記述は見当たらないし…。
本書は玄人向けなのかもな。ちょっと言葉足らずな印象を受けた。というかスマートに書かれ過ぎているのかも。
ちゃんと解説しようと思えばできるけど、紙幅の都合というやつかもしれないし、
「マニュアルとして読まないでよ」ってことなのかもしれない。
セミナーとかワークショップみたいなかたちで学んでみたいなぁ。
実践編としては、馬田隆明著『解像度を上げる』の方が使い勝手がいいのかも。
『解像度を上げる』では、結構こと細かに書かれているので、TO DOが明解。
それでも、本書の随所で批判されている「蓋を開けてみなければわからない」思考は、私も結構やっちゃう。反省。