『博士と狂人』を観て
2020年に公開された『博士と狂人』。
感想をひとことで言えば、「骨太で、重厚で、狂気に満ち溢れ、胃もたれを起こしそう」という感じ。
19世紀、オックスフォード大学で持ち上がった英語辞典の編纂計画。
そこで、学士すらもたない仕立て屋、マレーに託すことに。
彼は独学で、数十カ国もの言語を操ることができるようになったという。
マレーは、英語の翻訳とかいうレベルではなく、古語とか新語とか俗語とか、すべての英語を網羅的に収録し、さらにその変遷も記録するというキチガイっぷり。
こういう壮大な試みは、研究者であれば一度は夢みるもの。
途方もなく膨大な作業と困難は容易に想像がつくけれど、それ故にロマンがあり、よだれor鼻血が出てしまう。
とはいえ、当然、インターネットもパソコンもない時代だから、すべてがアナログ。
そこで、専門家にこだわらず、英語を日常的に使う人々に、単語の情報を郵送してもらうという方法をとった。
案の定、最初の「A」の単語でみんな死にそうになっている。
集まってはいるものの、「19世紀はあるのに17~18世紀がない!」って発狂している助手。
進捗が芳しくないのをいいことに、妥協案なんかも渡されて。
普通だったら、現実的に考えて、妥協案でもよしとしてしまうものだけど、マレーはむしろ反発。
「なにくそ!」って感じで、燃えている。
でも、現実問題、詰んでいるのはたしか。
そんなとき、一気に1000枚のカードを送ってきたマイナーという人物。
彼は、軍医として赴いた南北戦争でPTSDを患い、殺人の罪で精神病院に収監されたアメリカ人。
(なぜ彼がイギリスに住んでいて、「スコットランド人が~!」と叫んでいるのか、ちょっとよく分からなかった)
読書が趣味で、本を読んでいるときは、「追われている」感覚を忘れることができると。
マレーは瀕死の看守を救ったことで院長の信頼を得て、さまざまなオーダーができるようになったことから、本やペンや紙を大量に看守に用意させることができた。
マイナーの情報提供によって、ついに1冊目を完成させるマレー。
学士号すらなかったのが、この業績で博士号を取得。
(普通の研究者でも博士号って特別感あるけれど、叩き上げのマレーにとって、こみ上げるものは尋常じゃなかっただろうな)
マイナーからのカードの住所が精神病院であったことから、てっきり彼はそこの院長とか精神科医だと思っていたマレー。
完成した辞典を直接もっていこうとマイナーに面会するのだが、彼は囚人だと知る。
それでもなお、彼との知的な会話は途切れることがなく、一気に打ち解けた二人。
それ以前のマレーの価値観は知らないが、殺人犯であっても、マイナーの知恵に絶大な信頼を寄せるマレー。
(これは寛大だからなのか、知的好奇心に狂っているからなのか、どちらだろう)
しかし、マイナーはマイナーで、自分が誤って殺した男性の奥さんとの交友が深まるにつれ、新たな苦しみが蝕むようになった。
奥さんを一方的に好きで終わるならまだしも、相手からも明確な好意を受け取り、その旦那さんを「二度も殺した」という自責の念に駆られる。
いよいよ追い詰められたマイナーに、院長は拷問に等しい「治療」を施す。
前半はマレーとマイナーそれぞれのシーンが交代で出てきたが、マイナーのターンのたびに、苦しくなる。
精神病院は、囚人よりも、看守にとっての監獄といってもいいのでは…なんて。
ただでさえ重たくて疲れるのに、一度で理解するのは難しい複雑なストーリー。
(マレーとかマイナーとかマンシーとか、みんな「マ」から始まる名前で混乱するのは私だけだろうか…)
だからこそ、ちょっと角度を変えるだけであらゆる解釈ができそう。
「博士と狂人」というタイトルから、一見するとマレーが博士でマイナーが狂人と思いきや、まあ二人とも博士で狂人ですよねとか。
私は、この映画から「知を究めるほどに狂気をはらむ」という教訓を得た気がする。
貧しい暮らしのなか、独学であらゆる言語をマスターし、その圧倒的な知の力で、天下のオックスフォードをうならせるマレー。
それに飽き足らず、人の一生をかけても終わりそうもないプロジェクトに取り組むという。
外的な諸問題にも屈せず、自らの知的好奇心に誠実に、「この上なく勤勉な人生を」を体現している。
「健全な狂気」とも言うべきか。
一方で、知を究めたとしても、「不健全な狂気」に着地する者もいる。
マイナーのように、優秀な頭脳とやさしく純粋な心を持ちながら、戦争と罪に苛まれたり。
院長のように、極端な信念に取り憑かれたり。
(院長の治療がどうしてあんなことになったのか、いまいちよく分からなかったけど、そういえば冒頭で拷問器具みたいなのが出てきたのを思い出した)
両者の違いはどこから来るのか。