とある大学教員のひとこと日常広場

岡本太郎展へ。

美術館は、事前勉強して行くと、楽しさ倍増!

渋谷の「こどもの城」には、ほぼ毎週と言っていいくらい親に連れられていた。

到着して、そびえ立つ「こどもの樹」を眺める。

それが岡本太郎の作品と知ったのは、ずっとずっと後のこと。

それから、渋谷駅構内にある、目を奪われるほどの大きな絵、「明日の神話」。

私でもひと目でわかる、典型的な、いかにも岡本太郎っぽいもの、でも、全体的に漂う不穏感。

みんな見慣れているのか、目もくれず普通に素通りしているけど、私は通り過ぎるまでガン見してしまっていた。

高尚なものではなく、日常的に、誰でも触れることのできる芸術として、
数多くのパブリックアートを実現してきた岡本太郎。

大阪万博の「太陽の塔」はまだ見たことがないけど、
そんな私でも、ひとつふたつエピソードが出てくる。

岡本太郎展が開催されているのは知っていたけど、東京滞在中に見に行けるか微妙だった。

ギリギリ12/28まで開催しているようだったので、帰省した日、
東京駅に着いてから、そのまま岡本太郎展へ行くことに。

事前に、平野 暁臣著『入門!岡本太郎』と佐々木秀憲著『もっと知りたい 岡本太郎 生涯と作品』を読んだ。

発言や雰囲気から、「インテリの匂いがダダ漏れだぜ」と思っていたら、
やっぱり、慶應義塾の幼稚舎からエスカレートして、東京芸大にも進学したらしい。

語学も堪能だったとか。

お父さんは有名な漫画家、お母さんは資本家の家柄で歌人という、サラブレッド坊っちゃん。

そして岡本太郎といえば、トリッキーな言動でも有名。

だからこそ誤解されやすい人なのかもしれないけど、
既存の「こうあるべき」とか「心地よさ」の類を全て否定するところから入るスタンスは
素敵だなと思った。

「芸術は呪術である。人間生命の根源的混沌を、もっとも明快な形でつき出す。人の姿を映すのに鏡があるように、精神を逆手にとって呪縛するのが芸術なのだ」(p.9)

「芸術は、ちょうど毎日の食べものと同じように、人間の生命にとって欠くことのできない、絶対的な必要物、むしろ生きることそのものだと思います。失われた自分を回復するためのもっとも純粋で、強烈な営み。自分は全人間である、ということを、象徴的に自分の姿の上にあらわす。そこに今日の芸術の役割があるのです」(p.13)

「矛盾や対立を調和させず、引き裂いたまま同在させよ。新しい芸術は両極の緊張がもたらす火花のなかにしか生まれない。それが岡本太郎の芸術思想(=対極主義)なのです」(p.70)

平野 暁臣著『入門!岡本太郎』より

そんな感じで、有名な作品や背景知識をひと通りざっくりインプットした結果、
若干すでにお腹いっぱい。

会場はなかなかの混み具合。さすが年末。さすが岡本太郎。

芸術を生活の一部とみなした岡本ならではというか、バシバシ写真撮り放題。
(一部、過去の放送映像などは、恐らく著作権的な問題で撮影禁止)

何と言っても、エントランスからしてかっこいい。

照明も、岡本作品の陰影を最大限活かそうとされている感じがする。

↓そこで真正面から待ち受けるのは「若い夢」。そうだね、まさに「若い夢」だね、と思った。

↓有名な「森の掟」。

この作品は、「赤狩り」が行われ右傾化する日本を風刺していると言われている。

岡本曰く、「それが権力として通用する時には怖ろしい表情や姿で人々を脅かし、彼らの根底から揺さぶるが、いったんチャックが開かれると中身は暴露され、バカみたいなものになってしまう」という。

佐々木秀憲著『もっと知りたい 岡本太郎 生涯と作品』では、この怪物が国家権力の象徴らしい。

チャックの中身は、戦前と同じ軍国主義者とのこと。

黄色い羽の生えた目玉が、目撃者としての岡本太郎、赤と白のストライプやピンクの動物は、共産主義者(赤)でも白でもない「どっちつかずの者」らしい。

↓「ノン」。

ともすると「可愛い~」で終わってしまいそうな作品だけど、フランス語の否定語が「ノン」。
すべてを否定することから始める岡本。
西洋近代合理主義への否定の意味もあるとか。

↓「重工業」。私は岡本作品でこれが一番好き。クリアファイルも買っちゃった。

機械に翻弄される工場労働者 vs 生き生きと働く第一次産業従事者。

工業(歯車など) vs 農業(ネギなど)。

赤と緑。

相反するものを並べて創造する岡本の、対極主義を代表する作品。

↓「傷ましき腕」。

1937年当時の、第二次大戦に向かいつつあった不穏な空気感が伝わる作品。

戦争で焼失してしまったのを再制作したもの。

この頃の岡本は、抽象的な表現に限界を感じ、模索していたらしい。

↓「憂愁」。

第二次大戦で焦土と化した東京。

岡本の喪失感を感じさせる作品で、見ているだけでこみ上げてくるものがある。

↓「燃える人」。

1954年、ビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験で、第五福竜丸が被爆した事件に触発された岡本。

擬人化された第五福竜丸やキノコ雲、死の灰など、象徴的なモチーフが描かれている。

後の「明日の神話」につながるものを感じる。

とはいえ、こんなメチャクチャに詰め込んで、まして大きな絵なのに、構図が崩れないのは、きちんと下絵を描いているからでもあるのかな。

↓「空間」。

↓「コントルポアン」。

コントルポアンとは、音楽でいう「対位法」のことらしい。

硬質なモチーフと軟質なモチーフを並べている。

↓「露店」。

「コントルポアン」より、むしろこっちの方がコントラストが効いているように感じる。

↓「赤」。

これもなんか好きだ。

生命の象徴である赤、それを引き裂いて見えてくるのは闇。

↓「座ることを拒否する椅子」。さすが、誰も座らない。

↓「太陽の塔」の中にある「生命の樹」。実物はもちろん大阪。

「地下・過去の世界」「地上・現代の世界」「空中・未来の世界」から成る高さ50mの「生命の樹」は、
実際にエスカレーターで上がっていくことができたとか。

そうして進化を辿って、未来に到達したとき、過去を振り返って、我々は「今が一番いい」と思えるだろうか。

修復されて現在も中に入れるらしいけど、いつか行ってみたい。

特に最下部の、アメーバ?ウミユリ?みたいな原生生物ゾーンや古代生物ゾーンにときめく。
ちょーかわいい。

↓「明日の神話」の下絵。実物は渋谷駅内。

元々は、メキシコシティにできるホテルのロビーに飾る予定だったもの。

なんと万博と同時並行で、メキシコと往復しながら描かれたらしい。

でも結局、そのホテルは開業前に倒産して、壁画自体も行方不明。

それが、資材置き場で野晒し状態で見つかり、分解して日本に持ち帰って、
なんとか修復したものが、渋谷駅に設置されたんだとか。

中央で目を引く燃え上がる骸骨は、原爆で炸裂する人体らしい。

右から左にかけて、人類の過去・現在・未来を表しているという。

どうしてもおどろおどろしい印象だけど、苦難を乗り越えて未来へ向かう人類のたくましさ、
その期待が込められた作品になっている。

↓「午後の日」。

最初は可愛いなと思ったんだけどね。でもこわい。

音声ガイドによると、これは自分の顔を引き裂いているようにも見えるし、
仮面で素顔を隠そうとしているようにも見えるとか。

岡本の絵画ではあんなに描き尽くされた「目」も、彫刻作品の場合は「空洞」になっている。

その空洞を見つめていると、心を見透かされたような気分になってゾッとする。

↓「雷人」。

岡本の最晩年の作品で、未完成のまま。

最晩年にこれだけエネルギッシュな作品が生まれるなんて、エネルギー値の高さを思い知らされる。

↓おまけ。出口に向かうところにお茶目なオブジェが。じわる。

にわかだけど、岡本太郎ワールドにどっぷり浸かって思ったこと。

異端として忌み嫌われようが、社会から淘汰されようが、己を貫いた生き様が感じられた。

岡本の人生そのものが芸術なんだなあ。って。

それにしても、音声ガイドの阿部サダヲの表現が、岡本太郎のイメージに近くて良かった。

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