とある大学教員のひとこと日常広場

鎌倉殿の13人

今年の大河「鎌倉殿の13人」の1ヶ月分溜まった録画を消化して、最終回を見終わった。

日本史は細かすぎて、高校のときはずっと睡眠学習だった勢なもので、
恥ずかしながら小学生レベルの知識しか残っていない。

(それが「本当」なのかよく分からないものを暗記・理解させられることに、
拒絶反応があったのかもしれない。世界史は好き&得意だった)

そういう苦手意識から、去年の渋沢栄一、その前の明智光秀のころから大河を見るようになった。

三作品を比べて思うこと。

「鎌倉殿の13人」は、(史実をあまり知らないので分からないけれど、)
史実からここまで膨らませて、無理の生じない範囲で「創造」できるって、素朴に「すごいな~」と。

いやもう、初回からぶっ飛ばしてた作品だよね。三谷ワールド全開というか。
(去年はじわじわ面白くなっていった感じで、はじめは何度か挫折しそうだった。)

今年はキャスティングも文句なし。みんなちょ~ぴったり!

前半は、推しの「上総広常」がいたから純粋に楽しめたけど、
上総介が退場してからは、頼朝のクズ具合に一層イラ立ちを覚えるし、
どんどんドロドロしてきて、どんどん主要キャラが退場していくなかで、
見るモチベーションを保つのが地味に大変だった。

途中で「運慶」が出てきたとき、その怪しさ満点かつ独特の哲学に魅力を感じ、
テンションが上がったものだけど、レギュラーではないからね…。

でも最後は、嫌がらせ含め、運慶、いい味だしてました。

(自分に似せた仏像を見て、切り捨てようとしたところ、
オスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」を思い出してしまった。)

あと、関智一さんが出てきたときは腰抜かした。どういう経緯があったんだろう。

さて、本作の最終回、個人的に、特に泣けるラストというわけではない
(比較対象としては微妙だけど、この手の作品ではコードギアスの方がずっと泣けた)けど、
きれいに回収されちまった感があって、さすがだなと思った。

ラストだけで考えれば、去年の渋沢栄一の方が泣けたけども。

「あれだけのことをしておいて、ふっつーに病死で済ませるなんてことあるんだろうか。
やっぱどうせなら、息子の太郎とか、姉の政子とか、無二の友の平六とかにでも殺されるのが鉄板よね~」
なんて思ってたら…まさかの。

終わりが近づくにつれ、菊地凛子演じる「のえ」の表情が怖ろしいことに。

のえが最初出てきたとき、わざわざ菊地凛子がやるほどの役なのか、ちょっと不思議だったけど、
この演技ができる人はそうそういないよねと納得。

「13人」って結局なんなの、頼朝の右腕的な人のこと?とか思ってたら、
そうか、義時が切り捨てた人たちのことだったのね。

でも本作の最も大きな特徴の一つは、やっぱり北条政子の解釈なんじゃなかろうか。

稀代の悪女として恐れられる彼女が、
ドロドロの鎌倉に温かい灯りをともす存在だった、という解釈もあるなんて。

ドロドロと闇堕ちせざるを得なかった義時とは対照的に、
「これ以上だれも血を流してほしくない!」と、どんどんピュアさが増していく政子。

最後から2話目の演説なんか、泣けてしまう。

というか最終回より、最後から2話目の方が好きかもしれん。

だって、最後、あんなことしたら政子、地獄に堕ちてしまうじゃないか…

歴史小説や大河って、史実という制約のなかで生まれる新しい解釈=「創造」の世界があって、面白い。

それにしても…最終回冒頭の家康…ちょっと1年も見続ける自信がない。

ぶっちゃけ、キャストを来年の大河にも引き継いでほしい感あるのは私だけ?いけそうじゃない??

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